diary

女子大生の日記。思ったことを思ったままに書いてます。

切り取った美

昨日言っていたカサブランカが咲いていた。

淡いピンク色で綺麗に咲いている。

ユリ特有の甘くて品のある香りも広がって、心に安らぎを与えてくれる。

 

茎のところで切られているから、あまり長くは持たないだろう。

私は綺麗な花瓶に飾られた綺麗な花が好きである。

虫や泥に汚される心配もない。

でも、切り取られら花よりも、土から生えたままの、手の加えられてない自然に近い花の方がきっと長持ちする。

 

人間も花瓶の花と同じなのかなとふと思った。

化粧をして、加工をして、綺麗なところだけを切り取って、自分を飾ってsnsに投稿している。

そして私の綺麗、美しいの定義はその人達が基準になっている。

 

今日も朝起きて、鏡を見て、自分の体型に不満を感じる。体重計に乗ってため息をつく。 

 

いつから私はこんなにも自分の容姿に執着するようになったのだろう。

幼い頃から貰い続けている親戚の挨拶と何ら変わりのない、形容詞の意味を理解した時からだろうか。

周りに合わせてsnsのアプリを入れて、アカウントを作った時だろうか。

 

人が綺麗になりたいと思う理由は様々だし、その優先度も様々である。

 

好きな人がいるわけでもないし、誰かに容姿を貶されたわけでもない。

他の人と比べたところで無意味なのに、いつも比べては優越感、劣等感を感じる。

街を歩いている時にふとガラスに写る自分の姿に一喜一憂する。

目的が、目標が何か、着飾ったところで何がしたいのか、自分でもよく分かっていない。

標準体型よりは軽いし、別に太っているわけではない。

でもどうしても綺麗に切り取られた彼女達と比較してしまう。

直接会ったことはないから、本来の姿を知らない。

もしかしたら、写真通り美しく、スタイルも良く、輝いた生活を送っているかもしれない。

逆に、全く写真とは違う見た目で、sns全てなのかも知れない。

私には彼女達の見せたい部分しか見えないから、それが彼女達の全てだと思ってしまう。

 

 

美しいものほど一過性で儚いものなのかも知れない。

時代によって美とされるものは違うし、見る人によっても違う、正解が無いから多くの人が悩むのだと思う。

価値観が変わればその美しさは消えてしまうし、時間が経つにつれて劣化してしまう。

 

自分の持っている美しさに気づいて、自信を持てたら、幸せになれるのだろうか。